レジェンドボートレーサー今村豊

ボートレーサー今村豊は、1961年6月22日に山口県小野田市(現:山陽小野田市)で生まれました。 彼は、1981年にデビューし、その後のキャリアで数々の記録を打ち立て、「ミスターボートレース」と称される存在となりました。 […]

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ボートレーサー今村豊は、1961年6月22日に山口県小野田市(現:山陽小野田市)で生まれました。

彼は、1981年にデビューし、その後のキャリアで数々の記録を打ち立て、
「ミスターボートレース」と称される存在となりました。

キャリアの始まりと成功

今村は、山口県立小野田工業高等学校を卒業後、競艇選手を目指し、本栖研修所に入所しました。

在所中のレース勝率は入所生の中で第2位という優秀な成績を収め、
1981年5月7日に徳山競艇場でデビュー。

デビュー戦で初勝利をあげ、そのまま優出まで駒を進めるという鮮烈なデビューを果たしました。

彼のキャリアはスピード出世そのもので、デビューからわずか1年2か月でG1初優勝、
1年5か月でSG初優出、2年11か月でSG初優勝を果たしました。

特に、1984年の笹川賞での優勝は、最短の2年11か月・史上最年少22歳での記録でした。

全速ターンとその影響

今村の代名詞ともいえる「全速ターン」は、
彼が本栖訓練所の訓練生だった頃に
教官から「恐ろしくなかったら(スロットルレバーを一杯に)握っていい」と言われたことがきっかけで始まりました。

彼は「本栖の転覆王(ドボンキング)」とあだ名されるほど全速ターンの練習を繰り返し、

デビュー後も試行錯誤を続けました。

その結果、「今村全速ターン」と呼ばれる技術を身に着け、

競艇界の常識を塗り替える存在となりました。

主要なレースとエピソード

今村のキャリアには多くの印象的なレースがあります。

例えば、2009年8月26日の丸亀競艇場でのモーターボート記念競走2日目3Rでは、
阿波勝哉との奇妙な形のスタートが話題となりました。

また、1986年の第1回賞金王決定戦競走・優勝戦では、
「絶対にスタート事故は起こせない」というプレッシャーから「ビビった」と語っています。

1997年の第12回賞金王決定戦競走・優勝戦では、
6号艇ながら「不意打ち」で前付けを敢行し、1コースに入る奇策を見せました。

この時、スタンドの観客がどよめき、今村自身も「これは行くしかない」と腹を括ったといいます。

引退とその後

今村は2020年10月8日に選手登録を抹消し、40年間の現役生活にピリオドを打ちました。

引退の理由として、2020年11月より男子の最低体重が52kgに引き上げられるため、
体重管理が限界になることを挙げています。

引退後は、趣味のゴルフを楽しみながら、
YouTubeのナイターレース解説にリモート出演するなど、第二の人生を楽しんでいます。

ファンからの評価

今村は、2012年にボートレース大村が実施した
「歴代最強レーサー 次世代に語り継ぎたいファン投票」で1位に輝きました。

彼の影響力は現役時代だけでなく、引退後も続いており、
多くのファンや後輩レーサーから尊敬されています。

プライベート

今村の趣味はゴルフで、現役引退後はほぼ毎日自宅近くのゴルフ場に出かけてプレーしています。

また、2022年現在の愛車は日産・GT-Rやアバルト・595などで、

若い頃にはフェラーリにも乗っていたことがあります。

結論

今村豊は、その卓越した技術と数々の記録でボートレース界に多大な影響を与えました。

彼の「全速ターン」は競艇界の常識を変え、多くのファンや後輩レーサーに影響を与え続けています。

引退後もその存在感は健在で、
今後もボートレース界におけるレジェンドとして語り継がれることでしょう。

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